なぜ、学校のいじめや不登校はなくならないのか?
これを読んでも何事もなく通えているお子さんや保護者の方はピンとこないかもしれません。不登校の場合は深く考えるとどれかに関していると気づくと思います。いじめの場合はいじめられている側ではなくいじめている側の生きづらさの部分が関わってくるので、いじめられている側が解決を図るのは難しいかもしれません。学校がいじめている側の原因に気づけるかですね。
公平と平等の区別ができていない
公平
すべてのもの(みんな)を、差別・ひいきすることなく同じように取り扱うこと
↓
各人の状況・能力・適性などを考慮して、みんなが等しいと思えるハンデのない条件で活動(競争)したり物が分配されたりするようにすること
平等
かたより・差別・違いがなくて、みんな(すべてのもの)が等しいことやそのさま
↓
基本的に、それぞれの状況・能力・適性などを考慮して条件を変えたりすることはなく、みんなに等しく接したり同じように分けたりすることやそのさま
公平と平等を適切に使い分ける
公平と平等はどちらが正しいというものではないです。
学校に限らず日本人は平等を強く好む傾向にあります。少し前にSNSで、エレベーターの車いす優先を知らない人のことが問題になりました。平等だと健常者も車いすの方も順番待ちをするのですが、公平な観点では階段やエスカレーターを使える人はそちらに、エレベーターしか使えない車いすの方はエレベーター優先で問題ないのです。そもそも日本の公共施設はすべてエレベーターでは車いす優先になっているのです。
学校での平等公平ですが、生徒全員と面談することと特定の生徒と面談することの使い分けや生徒全員になんらかの義務を課すことと特定の生徒に何らかの義務を課すことの区別ができているかと言うことです。
例えば、「ひとり一役」と言うことばがあります。生徒全員に何らかの係りを分担するというものですが、聞こえはいいですが中身は大丈夫でしょうか?
とりあえず人数分の役割を作るものの、実際に活動するのはいつも特定の人で何もしない人がいるってことありますよね?中には係りは存在しても仕事がないとか。そもそも人数分無理やり役割を作るので不要な係りもあるのではないでしょうか?ふたりでできる役割を4人にしてみたり。
遅刻の指導もそうですが、慢性的な体調不良やメンタル不調で遅刻する生徒と生活が乱れて遅刻する生徒を横並びで指導する必要なないですよね。
この辺りの平等と公平の使い分けがうまくできていないと感じることがあります。
家庭の時間と学校の時間の境目がない
学校が家庭の時間まで管理する必要なないのです。下校後の公園で生徒同士のトラブルなどは学校が負うのか家庭が負うのかでは家庭が負うものです。これを学校に負わせていることに問題があります。
学校からの宿題も同じで、学校が宿題を出すことまでは良くてもそれを出させることまで強制してはいけません。それは家庭の時間に学校が介入するからです。
例えば、学校に行けない生徒って家では学校のことから頭を切り離して休ませることが有効です。でも、宿題を学校が出す、出せないと学校で請求されるということが起こると家が休める場所でなくなるのです。不登校の原因の中でも一度サイクルが狂って戻せなくなるパターンではこの宿題に起因するものは多いです。特に担任、教科担任が必要以上に完璧を求める人だとより起こりやすいです。
また学校との役割を逆転させてしまう残念な例も多数聞きます。宿題の請求や量は厳しいのに授業にメリハリがないというものです。”学校で勉強して家でも勉強するとより伸びますよ”が正しい位置づけですが、”学校の授業をしっかりできずに、家での宿題だけ強制してくること”があります。家でも勉強しなさいは分かりますが、その前提として授業が成立していることは当然でなければなりません。授業で私語が多い、生徒が集中できていない、それに対して注意をしない状況で、家で勉強すればできるようになると言われると学校の役割とは何ですか?になりかねません。
地域の2番手3番手の高校で多いのが、授業でベースを作らずに難易度の高いものに時間を費やし課題の量だけ多いのもこのパターンですね。基礎を作ることを学校で行って、発展的なものは家庭なり塾なり補講なりで積み上げるなら良いのですが、学校の進学実績を上げたいと言う思惑から授業で基礎を軽く流して発展的なものを扱い、基礎ができていない生徒を見放してしまうパターンです。進学実績と言って国公立の合格数ばかり気にしている学校はこの傾向が強いです。
均等化と均質化を目指す間違い
日本の学校が行っているのは均質化だと言うことを知っておくことは重要です。均質化とは個性とは真逆の全員同じ生徒に育てると言うことです。
もうひとつは能力の均等化です。簡単に言うと算数が得意とか、英語ができるとかではなく、満遍なく全教科できると言うことです。
均質化も均等化も簡単にやるとすると良い部分を削ることです。均質化であれば上位を抑えて下位を上げるのですが、下位を上げることよりも上位を抑える方が断然簡単です。均等化も得意なののを伸ばすと尖ってしまい、苦手なものを伸ばすより、得意なものを抑えた方が簡単です。
日本の学校教育では世界トップクラスが出にくいのはこの均質化と均等化にあります。得意なものを伸ばし、苦手なものはそこそこで十分なのに、それを逆にして育てようとすると弊害がでます。
人間関係の距離を適切に取れない
大人でも、人に対する好き嫌いや得意不得意はあります。人それぞれパーソナルスペースも違いますし。
みんな仲良く、全員同じがそもそも間違いなのです。
大人であれば、嫌いな人や苦手な人との時間は最小限にする。必要以上に会話はしないことで、人間関係や仕事上の挨拶や会話を最低限にとどめることができます。
これを学校はさせてくれません。特に小学校ではクラス全員で休み時間に外で遊ぼうなどと掲げる担任がいます。外で遊ぶことは確かに健康につながりますが、ひとりで心穏やかに過ごしたい人や、外ではなく静かに本を読みたい人の気持ちは尊重されません。人との距離を取って落ち着きたいのです。これに関しては子どもに寄り添わない先生が存在するのも不思議です。
教室と言う狭い空間で、クラスだと1年間、学年だと3~9年間同じ人たちと過ごすので適切な距離を取らせてあげることができるかは大きいです。
不登校から回復した実例
まず、学校を悪く言わない、先生をバカにしないは大前提です。学校や先生がよほど大きなとんでもない間違いしない限り、学校を悪く言ったり、先生をバカにしてはいけません。
2年ほど断続的に不登校であったケースと、学校(担任)に問題があって不登校になったケースで不登校から学校に通うようになった事例で共通した部分です。
1 学校に期待しない。依存しない。
意外なほど学校に通っていない(通わない・通えない)こと対するプレッシャーがあるみたいですが、そこまで気にしなくても大丈夫です。そもそも今の学校にそこまでの価値はないです。特に学習面ではほとんどの生徒に合わない授業が展開されています。
教員の能力的な問題と学校と言う全体主義の性質の問題の両面でこれは言えます。
まず、小学校中学校では多人数に対して、生徒・児童の能力に差があるので全員に適した授業自体が存在しないです。全教科を習熟度別にするならともかく、クラスごとの授業で対応できることではないです。高校でもそこまで差が埋まっているとも思えず、高校では下位層には手をかけてくれない傾向にあります。
学校に期待せず、依存せず、自分で学習を進めるようになると学校に通う必要がなくなり、学校に行かなければいけないと言うプレッシャーから解放されます。これが逆に学校に通えるようになるプロセスになります。不思議なことに学校に通わなければならないと言う気持ちより、学校に通わなくても良いと言う気持ちの方が気軽に学校に通えるようになります。
2 学校や先生が間違っていることを生徒・児童に教える
学校や先生を否定するのではなく、先生も人間だから間違うことはあるし完璧ではないと言うことを教えます。学校の言うことを聞かなければいけないとか、先生には言い返してはいけないと言うことはないです。もちろん言い方はあります。学校や先生は間違いを認めません。もっと言うと間違えても謝りません。この傾向はかなり強いです。なので、生徒や児童には「先生が間違っているね」って教え認めてあげることが大事になります。
3 学校や先生に間違っていることを教える
「他の子はうまくいっています」←この言葉は要注意です。
生徒や児童はひとりひとり違うので、他の生徒や児童で問題がないからと言ってそれを他の生徒や児童に当てはめて良いわけではないです。
他の子でうまく言っても。自分の子でうまくいかなければ意味がないです。
簡単な例で言うと、超ハイスピードで授業を進めて自分の子が授業についていけなくなったとしましょう。これで付いて来れている生徒もいますと言われたらどうでしょう?自分の子だけが極端に遅れているならともかく、塾に行かないと学校の勉強ができないならおかしな話だし、ついていけている生徒が半数程度なら授業のペースを見直すべきでしょう。
学校や先生の言う、「他の子はうまくいっています」や「この方法に合う生徒がいるんです」って言葉は要注意で、自分の子にあっていないのであれば、「合わない子にはどう対応しているか?」を必ず聞きましょう。
そのうえで、上記のいじめと不登校が減らない理由4つに該当していないかや、学校や先生の問題点をロジカルに突き詰めて説明しましょう。
ただ、学校は多人数の生徒や児童を見ているので、自分の子だけ特別にと言うわけにはいきません。学校や先生にも限界があるので。そういったときには、学校や先生では解決を期待できないこと、自分で対処することを伝え、学校や先生が子に嫌がらせをしないこと迷惑をかけないことを約束させましょう。
4 親は本気で怒る
これはかなり重要です。本気で怒っていることは伝えましょう。理不尽に怒ることや我を通すために怒ることはしてはいけません。
子供に不利益なことが起きているときや、明らかに学校や教師が間違っているときは怒りましょう。
これを「ちょとおかしいと思うんですけど」とか「ひとつの意見です」などと伝えると学校は真剣に対処してくれません。怒るまで変えなくてもいいと言う対応になります。
学校や先生って何かを変えることを嫌うしできないんです。言われたことを言われた通りにするだけで、自分たちで考えるとか自分たちで決断するとか判断するとかできないんです。だって自分たちで判断したら自分たちの責任になるじゃないですか。何かを変えたら変えた人の責任になりますが、何もしなかったら何も責任を取らなくても良いと考えているのです。
個別事例ではもっと具体的な内容になりますが、1~4でかなり改善されます。
もし、学校や育児、教育のことでお悩みであれば相談してください。
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